2017年10月31日

2017 真田幸村伝承の地

南九州市にあるクライアントの会社を訪れた際、近くに真田幸村伝承の地があるというので行ってみました。

真田幸村は、豊臣方の武将として大阪夏の陣で活躍し、猿飛佐助や霧隠才蔵といった真田十勇士が仕えたことでもよく知られますが、大阪の陣の後、島津の軍船で鹿児島に逃れ、今の南九州市頴娃町に潜伏したという伝承が残ります。幸村が鹿児島に逃れたという根拠は、幸村の子孫と称される墓(頴娃町別府大川)に六文銭が刻まれていることだそうです。

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幸村伝承の墓があるとされる雪丸集落は頴娃町に広がるお茶畑からちょっと奥に入ったところにあり、雪丸集落から少し山を登ったところに駐車場が整備されています。車を停めて、山道を10分ほど登っていくと、一基の古いお墓がぽつんとありました。

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なんでこんな山の中にぽつんと墓があるのでしょう。江戸の昔からここにあったのかそれとも元は別の地にあって今の地に移転されたのか。

豊臣秀吉が島津征伐のため薩摩藩の現在の薩摩川内市まで進出したり、関ケ原の戦いで島津義弘が大阪から船でかろうじて鹿児島に逃れたり、関ケ原の戦いに敗れて薩摩に逃れた宇喜多秀家を島津が匿ったという歴史があることに照らせば、同じ時代に、真田幸村が島津を頼って鹿児島に逃れたというロマンも史実の可能性としてなかなか捨てきれないものがあります。

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posted by KH at 00:00| 歴史・文化

2017年09月30日

2017 東京‣目黒の思い出

JR目黒駅を降りると懐かしい。30年前に初めて東京で暮らした街が目黒です。

JR目黒駅から権之助坂を下りると、アーケード付きの商店街が続き、交差点の向かい角にある大鳥神社を過ぎてゆるやかな坂を上がっていくと東急ストアが今もあって目の前に元競馬場前という名前のバス停がある。バス停の先を左に入ると下目黒4丁目。閑静な高級住宅街が広がり、歩いて坂道をゆるく降りたところにアパートがありました。

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大鳥神社

当時のアパートは1階が大家で2階を貸間用に改造したもの。風呂が付いてなくて近くの銭湯(今は廃業)に毎日通ったことは今思うといい思い出です。アパートの目の前には林試の森という森があって、夜は都会の中とは思えないほどしんとしていて、風が吹くと森の木々がざわつき、夜中に銭湯から帰るとき、漆黒の森の木々を見上げると木々のざわつきに不気味さを感じるときも。

銭湯の前には目黒不動尊の庶民的な商店街が続き、アパートに引っ越してしばらく生活に慣れると、不動前駅まで歩いて、不動前駅から東急目蒲線で目黒駅まで向かう通勤ルートに変わりました。東急目蒲線は目黒駅と蒲田駅を結ぶ路線で、目蒲線を走るグリーン色の車両は30年前の当時も東京にしてはずいぶんとレトロな電車で、ローカルな路線だなと感じるものでした。

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春は桜がきれいな目黒川

九州から東京にきて東京駅前の志賀国際特許事務所に勤め始めた頃の話です。

posted by KH at 15:37| 街の風景

2017年09月11日

2017 たっちんカレー

事務所にいるとき普段はお昼に弁当を持参するのですが、事務所が入っているビルの裏側に「カリー学研究所」という、カレーの研究に熱心そうな名前のカレー屋さんがあるので、夏休みに帰省中の子供と行ってきました。

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入口横の看板に「カリー学研究所」とあり、黄色いのれんには「たっちんカレー」とあります。スパイスをたくさん使ったスパイスチキンカレーや麻婆茄子カレーなどどれもおいしそうで迷いましたが、せっかくなので、あいがけ(900円)を注文する。刺激的でおいしい。

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食べ終えるとお腹がきつく運動を兼ねて近所をしばらく散歩。日差しが強く、南の島でみられるような大きな雲が向うに浮かんでました。

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posted by KH at 00:00| 食べもの